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ゆとりと感受性。

by みさとん

思い通りにならないとすぐに不貞腐れるのは雨上がりが少し遅れた水溜りと湿気に支配された世界を自転車で傘さし運転をしながらイライラが止まらない昼過ぎの自分。


生理前だからというのなら、本当に生理が憎いし、自分が悪いというのなら今すぐ処刑でもしてくれと物騒な事を思う程に自分の感情が赤になったら青になったりが止まらない。


男に振り回される自分が嫌だ。そう振り切って走り出したっていつだって男の前ではちらちらと後ろを振り返り"ちゃんと"してる自分を何度も確認し演出し続ける。


隣に誰もいなくたっていい。それでも「いつか」は来るのだろうか。隣にいて欲しいときに「今」は通り過ぎずに止まってくれるのだろうか。


平井大の透き通った声がこんなにも役に立たないことがあるだろうか。ああ、一人で旅したい。お金があったらななんて、ベットの上でだらだらと甘ったれた事ばかり思う自分に、ゆとりと言われて本気で腹をたてたことに後悔をした。


そうだ。その通りだ。ゆとりなのだ。我慢はできない、わがままで、やりたいことだけやりたい、挙げ句の果てすぐに泣く。


ただ一つ、

そんなわたしでも誇りに思っていること。


世界をまっすぐに見ようとする感受性をわたしは義務教育の中でそっと羽織らせてもらった気がする。


銀杏の木の葉を見上げ、木漏れ日に綺麗と呟くこと。紅葉を拾うために校舎を飛び出して公園まで歩いたこと。七輪でお餅を焼いたこと。幼稚園の遠足のような事を毎週2時間もかけてやっていた。


その時間の度に輝くわたしたちの瞳に、先生たちは伸び伸びと表現することを見守ってくれたように思う。


感情や、感受性は育てなければ膨らんでいかない。感受性が豊かなことや繊細な事は大人になってから時に邪魔だと思うこともあるかもしれない。もっとテキトーに、鈍感に生きれたらと。

それでも、育ててもらった感受性は間違いなく生きる世界に彩りをくれた。

ああ、我慢を知らないゆとりだなと本当に思う。それでも、ゆとりだからという言葉は、白人だから。黒人だから。障害者だから。という括りとどう違うのだろう


括られるわたしたちはその輪の外へ「いつか」ともがくからいつまでたってもゆとりなんだ。


みさとん
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