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体育座りには、世界地図を。

by みさとん

わたしのバイト先は壁が薄い。
叫び声と、熱のこもった声と、なんとか褒めちぎる声が、道路の向かい側まで聞こえる。

もう戦場だ。子供は全てをむき出しにして私たちにぶつかってくるし、全てをむき出しにして狭い世界と戦っている。

ランドセルに両手じゃ足りないくらいの教科書を詰め込んで、それを背負うと一気に体重が後ろに傾く。

よろよろしながら靴を履くにも大仕事。よく毎日背負って頑張るなと思う。


ぐしゃぐしゃに入ったプリントはまるで反抗心そのもの。反抗なんて概念を知らない子どもの感情そのものな気がした。

「こんにちは。」そう声をかけても顔色一つ変えずに部屋に上がり込む、黒髪と丸い眼がきれいな女の子。


人と関わることが怖い。
自己肯定感が極端に低い。
だから部屋のドアを閉めて机の下に潜り込んで体育座りをしているのだろう。


もう、話もしたくないというピリピリしたもの以上に、彼女の抱えている真っ青を超えた黒に近い海の底のような寂しさがわたしには伝わった。


彼女は難しい子かもしれないけれど、わたしには人間そのものの感情を真っすぐ突き通しているだけのような気がした。わたしにもある。一人になりたいとき。全てから逃れたいとき。それが寂しいという感情かもわからないとき。


自分と戦う力が彼女にあるとしたら、身体は軽くなり海面まで浮かんでこれるかもしれない。

海面にパッと顔を上げれば、当たり前のようにある空気とすべてを照らす太陽と自分だけを見守っているような月を見ることができるのに。

それができないから、生きづらいのだ。


だからわたしは、彼女の前に手を置いて

「お話したくなったら先生の手をポンポンってたたいて。」

それだけ言って正方形の狭い部屋に体育座りをした。


こういうとき、正しい指導方法ってなんなんだろう。沈黙の中、考えた。
障がい特性に合わせた適切な対処がこれであっているのかもわからなかったけれど、

"わたしもそういうときあるから、別に特別なことじゃない。"
そんなふうに自分事にするだけでいくらか彼女の味方になれないかと思った。


途端、わたしの手をぎゅっと握る両手。

”味方”なんて、”大丈夫だよ”なんて言葉は安っぽくて使えなかった。
それでも手を差し出すことはできる。
そしてその手を掴める手を、彼女を持っているのだ。

ふと、部屋に貼ってある
「世界地図」を見つけた。


「日本どーこだ!」

無邪気に笑えているだろうか。
たぶん、この子に嘘は通じない。

「ここ。」指さす彼女を見て、嬉しかった。

「じゃあ次。ドイツどーこだ!」
「モロッコどーこだ!」
もう、完全にわたしの好きな国当てクイズみたいになってきた。

難しい顔をして探しては、「あった!」と指さす瞳に少しづつ光が戻ってくる。


彼女は、いつの間にか椅子から降りて前のめりになって探していた。
何かを夢中になって探そうとする姿は、世界への第一歩。前のめり、最高。


「世界って広いねぇ。」


わたしはその言葉をただ繰り返し言い続けた。

伝えたかったのだ。
私が惚れた、旅する世界を。


きみが考えている常識は世界の非常識かもしれない。
きみと同じ悩みを、地球の裏側で抱えている人がいるかもしれない。


考えや言葉や肌の色、全てが違っても、一緒に泣き笑うことはできるんだと。世界はきみが思ってるよりも、広いんだと。


伝えたかったんだ。

彼女の笑顔が、何よりの成長。

少しは身体がふわっと軽くなってくれたかな。水面に、近づけたかな。


来たときよりも、いい顔してる。


彼女も、わたしも。


みさとん
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