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どうでもいいことほど。

by みさとん

どうでもいいことほど忘れられなくて。

大好きだと伝えられなかったこと。泣いたこと。ふてくされたこと。変な意地を張ったこと。それにも疲れて笑ったこと。柔らかく優しくなる方法を知ったこと。柔らかさは強さだと教えてくれたこと。


雨上がりの蝉。コンクリートの死んだ跡。風の憂鬱。むせ返るほどの湿気。忘れさせやしないとしがみついてくる空気を、黙って纏う素直さ。


いつか遠い過去になったとき、それはきっと忘れてしまうのかもしれない。でも、こころに残る感触だけは、確かにある。

わたしの自転車の二人乗りの記憶はおじいちゃんだ。自転車の軋む音と小さくて古びた背中。ゆるゆると揺れるわたしの身体とお尻が痛いのを我慢する時間。


二十数年生きてきてずいぶん前にさようならをしたせいか、口数の少ないおじいちゃんと何を話していたのか、ほとんど覚えていない。

けれど、してくれたことは、たくさんこころの感触に残っている。

両親が仕事のときは、おじいちゃんが家に来てくれていたから鍵っ子とは無縁の放課後だった。


おじいちゃんの前で音読の宿題をしたし、夏休みには全くわからない甲子園を素麺をすすりながら黙って見た。


これが好きだと言うと毎回買って来てくれる肉まんとピノのアイス。一度好きと言うとこればかり買ってくる不思議さを聞かずに受けとるわたしは幼いながらに温かいものが壊れないようにそうっと扱いたかったのかもしれない。

中学校の入学式は雨だった。


幼馴染とクラスが別々だったことにガッカリするや否やそのままお葬式に向かうことが決まっていた帰り道。


わたしは泣きもせず、笑いもしなかった。


でも途端に強烈に、感情が詰まった。

悲しいが、わからない。死が、わからない。


ただ、家のトイレで一人で泣いていたらお母さんに見つかって、素直に無邪気に涙を流す弟と目を真っ赤にするお母さんの前ではどうしても泣けなかった自分を恥ずかしく思ったのを覚えている。


あまり感情を出すのが上手ではない時期のわたしなりの精一杯だった。


でも、ひとつだけわかったこと。嫌いだと言いながらもおじいちゃんがいなくなるとおばあちゃんはとても寂しそうに生きるようになった。


おじいちゃんの布団で一緒に寝ていた子犬をうちへ引き取るときの罪悪感は、その後しばらくべったりと纏わりついた。

もし、


人生は思い出づくり。


と、するならば。



そんなに気張って生きなくてもいいのかもしれない。もっと肩の力を抜いてもっと自由に生きたらいいのかもしれない。



ただ、


こころに焼き付く"どうでもいいことほど"の連続は一枚一枚アルバムにしまって収めたい。


この人と一緒に思い出をつくりたいな。その気持ちの連続は、人生そのものになったりして。


会いたい人と会えない人と会えるのに会わない人と。

何が正解なんだろう。


迷っている答えは、いつかでるのだろうか。


死んだら会いたい人がいるって、それはそれで思いっきり生きられそう。
でもその前に、生きているから会える幸せを、忘れないでいたい。



ふと思い出す。こころの感触。


みさとん
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