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最初からそこにあるもの。

by みさとん

きれいな緑の芝生とオレンジ色の陸上競技用のレーンを横目に、人生で初めて「ギリシャ神話」というものをかじりつくように、静かに受け止めるように受講している大学生活最後の授業。


古代ギリシャなんて、かけらも知らなかった私に独特な口調と切り口で授業を進めるから、日に日に受講生徒が減っていくのはむしろ嬉しい。


私はこの変わってる先生が学生生活最後の授業でよかったなと思う。



ギリシャ神話とは、古代ギリシャ人が神々を題材に様々なテーマに基づいてつくった今もなお語り継がれる物語だ。

面白いなと思うのは、ギリシャ神話が「人生とは何か」そんな大きな問いに真正面からぶつかっていく物語だということ。

紙が作られる前、語り継ぐ時代。


ホメロスという男の語り継いだ「オデュッセイア」という物語に先生が一番最初に放った言葉。

「これは、旅文学です。」



この物語の主人公は、奇策「木馬」を編み出し見事ギリシャ軍に勝利をもたらした英雄”オデュッセウス”だ。


戦争が終わり、一刻も早く家族のもとへ帰りたい。戦争から無事帰還すること祈り自分を待っていてくれている妻と息子に会いたい一心で船に乗り込むオデュッセウス。


そんな彼の行く手を阻むように、神々は彼に様々な苦難を与え結果的に彼は10年間も海を、島々を放浪することになる。

放浪をしながら、オデュッセウスは自分の心の声と向き合うことになる。先生はこれを、「心の旅」と言って進めた。黒板の文字をぼやっと見つめるわたし。


主人公オデュッセウスは、ある島では巨人に襲われ見事その知性を発揮して巨人を退治。そのことにより、さらなる地位や名声を手に入れようとした。

だがその後、地位や名声は追いかけても追いかけても果てがなくその価値は本質的ではないことに気づいていく。


あるときは、死者が亡霊となって現れる島で戦死した英雄と話をする。そのとき彼がかつての英雄から言われたのは

「死の世界で王になるより、奴隷としてでも生きていたい」という言葉。彼は、切実な生に対する想いと向き合うことになる。


あるときは、綺麗な女神が住んでいる女だけの島に漂着する。

彼は妻子がいる後ろめたさを感じながらも7年もの間その島にとどまる。女神に愛され、しまいには永遠の命を授けようとまで言われる。そんな楽園での生活と自分自身を見つめ直した果て


地位や名声、死との対話、快楽、永遠の命、様々な人間としての資質が試されるこの旅で、最後に彼が出した答えは

授業の最後に、先生が放った言葉たちはどの本にも参考書にも載っていない、私たちの目を見て伝えようとする気持だったように思う。


「お前は何者なのか?」

旅に出ると、この問いはいつもついて回る。初めての土地、地位や名声は役に立たない。あなたは誰ですか?

そんな質問は、今まで自分が積み重ねてきたものがいったん「0」になる瞬間。それが旅での人との出会いになっていく。


「きみたちも、0になってみたら?」


人に聞かれること。そして、自分の声を聴き続けること。それはいったん「0」になった自分を再構築していくということ。


きっとオデュッセウスも、目先の地位や名声、快楽に浸る自分をふと振り替えると「本当にこれでいいんだっけ、自分。」そう心の声を聴き続けたはずだ。


私たちは今、自分の意志と決断で進路を決めた。これで食っていくんだと、誰でもない自分で決めた。それでも常に心の片隅では思っている。


「自分、これでいいのかな」


迷いなのか不安なのかわからないものは常に自分の中に住んでいて、そんな心の声といつもお話をしながら耳をしましながら生きている。


「それでいい。」


と、黒板の前ではっきり断言された。だからこそ人間らしい。そう言い放つ先生はすごい。自分の声を聴き続ける忍耐を持つことが、生きていくことそのものなんだ。

そして10年というときを経て

彼が自分にとって本当に大切なものは他でもない「家族」だと気づくのに10年間という月日を要した。


「人生で最も大事なことは、”時間”が明らかにしてくれるのかもしれない」

いわれるがままにそうテキストに書き込む私たち。


「今は何のための4年間だったんだ。そう思う人もいると思う。つまらない授業ばっかりで。でも、それでいいんだよ。あなたたちが何かを感じるのはもっとあとでいい。意味や価値は時間とともに変わるからね。」


そんなふうに言われたら、この4年間は一瞬たりとも無駄なんかじゃなかったんだと思えるじゃんか。私たちが迷って奮闘して答えを出し続けた4年間のもっと本質的な大事なことはこれから姿を現すらしい。


私たち自身もまた、時を経てこれから、本質的な自分が出てくる。

ただ、限られているから。


永遠の命じゃないからこそ、人は誰かを愛せるし英雄にもなれるんだよ。


限りがあるから貴重で美しいという。それはギリシャ神話の出来事じゃない。私たちの現実なんだ。はじめまして。があるということはさようならがあるということ。


だから人は、大事にしたいものに気づけるんだと思う。大事なもの、本質的なものは得るものでも教えてもらうものでもない。私たちが生まれたときからただそこに、そっと側にあるものなんだ。


遠くに遠くに探しに行くものじゃない。自分の中にあるものに気づく。それが心の旅なんだ。


長い長い時間がかかると思う。時には迷い、行き先を見失ってどうしたらいいのかわからなくなるときも。目先の誘惑に負けてしまうこともあると思う。


それでも自分の側にある”心の声”に耳をすませば、きっと見えてくるんだ。


”一人の人として、大事にしたいもの”が。


時間がかかってもいいらしい。今はわからなくてもいいらしい。「お前は何者か」そんな問いを投げかけられながら透明な自分に。


余計なものをそぎ落としてに本当に大事にしたいものだけを抱きしめて生きる旅人になりたいと思った。



今日も「ありがとうございました」を言って教室を出る。

わたしはやっぱり、とてつもなく変わっているこの先生が好きだ。


みさとん
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