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50点の自分、木漏れ日の陰。

by みさとん

学生時代のわたしと言えば、(今もまだ一応学生だけれど)"いい子選手権"なんてものがあったらいつだって表彰台に登っていたような子だった。


中学高校と部活動ではどちらも部長を務めていたし、中学では3年間続けて学級委員を務めた。

「かいつは頼りになるな」と言ってくれる担任の先生が大好きだったし、頼られている期待されている、自分!は、もっと頑張ろうというエネルギーにもなった。


でも、そんなわたしを「先生に気に入られてて、いいよね。」そう言ってくる子もいた。


はて。
気に入られているかどうかはわからないけれど、先生に怒られずに過ごすことが当たり前のことだと思っていたのは事実だった。

だから眉毛を細くすることもなければ夏休みに髪を染めることもなかったし、スカートを短く切ることもなかった。廊下ですれ違った先生には必ず挨拶をしたし、先輩の言うことだってよく聞いた。

でもきっとココロの奥の奥底では、わかっていた


学校という世界は先生が生徒を評価すること、それは結果として「数字化」され、それはあたかも「君の全てですよ」とでも言われているかのように成績表に「内申」という形で残る。


だからこそ、怖かった。自然にいい子ができてしまう自分が、”いい子以外の自分”になることが怖かったんだろうと思う。

それは同時に、いつだって他人の目や評価を気にしていることの裏返しだった。

大学生になり、色んな人と出逢った。

そこで分かったことは、

いい子になんて何の価値もないということだった。

それでも、いつまでたってもあいも変わらず100点を目指した。それ以外の生き方を知らなかったし、何よりいつだって、誰かの100点でいたかったのだ。


好きな人ができれば、彼氏にとって100点の彼女になりたかったし、困ってる後輩の頼りになる先輩でいようと努めた。友達が悩んでいたらいいアドバイスができる100点の友達に。


誰かに褒められたい、認められたい欲求まみれのわたし。そうやって自分の評価をすべて他人に投げ出していたのだ。


100点なんて、取れるわけがなく。

大人になればなるほど、嘘をつくのが上手くなる。人を傷つける怠ける、面倒くさがりでだらしない。不器用だし計画性もない。


それも本当の自分なのに100点じゃない自分を認められないわたしは、”悪い部分”のある自分が許せなくてやがては大嫌いになり、気がつけばそこばかりに目が行くようになっていた。


そうしてコンプレックスの塊になったわたしは

結局、いつだって50点の自分から逃げたくてまた100点を目指す。
そんな無限ループの繰り返しだった。

これは、わたしの好きな風景を撮った写真。

木漏れ日が好きで、よく綺麗だなと思ってはシャッターを切ることが多い。

どうしてこんなに綺麗なのか、そしてこの風景が好きなのか。

それは、太陽の光がまっすぐに地面に届くと思いきや途中で葉に当たり地面に影を落とす。

そんな光と影が一緒にあるからこそ、この木漏れ日の風景に惹かれるのだ。


木漏れ日の影を好いてくれる人もいる


わたしはきっと、光と影があるからこそ愛されるんだ。

それは万人からではないけれど、
"光と陰は自分らしさ"となってありのままの自分を好きになってくれる人たちとありのままの自分を好きになれた自分で、もっと優しく呼吸をしてみたいと思った。


弱いところも、ずるいところも、恥ずかしいところも、全部含めて50点のわたし。


自分を認めてあげる、なんて少し難しいと感じたら、50点でもいいと唱えてみる。


自分を見る目を優しくしたら、きっと世界を見る目も、もっと優しくなれるから。



みさとん
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